2025年11月29日第四回研究会
サンプル4『馬キャン分離の物語』(ITJ731表)
石川巌
1.説話構造
(1)創世期の馬の状況
(2)アクシデント
(3)人間との契り
(4)葬儀
(5)犠牲の利益を説く結び
2.焦点トピック
①希求法の応酬
トンバのものでも馬と野馬が互いに呪い合っている。相互の希求法のセンテンスを比較したい。チベット側のセンテンスを提示する。
文例1(r87-r90)
nu khug ron rngog bkhra khyod ni yul myi yul skyi mthing du mchiste
弟クク ルンゴク タ おまえは 国は人の国 キ ティンに 参り
myi dang bsen bgyis pas
人 と 親交をなしましすことにより
sang nam nam zha chig na rta khyod ni khar srab gyis srabste
明日から永遠 に 馬おまえは 口に 馬勒を 付けられ
kha drung shu bab ’khor chig rgyab du sgas sta de
口 前に 腫物が降りめぐらん 背 に 鞍をもって装備されて
rgyab du sgal byung shig
背 に 鞍あざが生ぜん
glo glos mnan te khong na snying nyams par shog cig
脇は腹帯で圧迫されて中 で心臓が衰えるようにならんことを
文例2(r91-r95)
khu rkhyang ron rngog bkra khyod ni yul pyI ’brog ltang gsum du song na
おじキャン ルンゴクタ おまえは国はチ ドク タン スム に 行ったなら
bzhon gyi myi myed kyang
お乗りになる人はいなくとも
skar ma g.yen gyis bzhon te rgyab bya. ’bras dang tshag ma tshig par shog shig /
非難の星 が お乗りになって背は なされる報いや 黒斑が 焦げ付くようにならん
srab gyI myi myed na
馬勒を付ける人がいないなら
’brog rtsI pyor bas rang du sras te kha drung shu bab ’khor bar shog shig
盛り付けられた牧草により自分で 馬勒を付けて口の前に 腫れ物が降りめぐるようにならん
snyag gyi myi myed na mgyogs sha khyis snyogs shig
取り立てる人がいないのなら素早い 猟 犬が 取り立てよ
’dzin gyi myi myen na mgyogs / gzhi khyen gyis / ’pongs shig
捕える 人がいないなら素早い 因縁 が 射 よ
②弓矢
このチベット文献での弓矢に関する語彙は独特であり、トンバのもので使われるそれらの語彙と見比べてみたい。チベット側は以下のようである。
ral 「矢筒」
一般に「剣」の意味で使われる語であるが、stag ral「虎皮の矢筒」が『蔵漢大辞典』にも記載されている。この文献のl. 105ではstag ral とgzig ral「豹皮の矢筒」が見える。
dbyang dkar 「白き調べ」
判読不能な箇所があるが、l.109末尾からl. 110初めにそう記されているようである。矢の隠喩表現か。
mchog gar「白き至高」
l. 111。『蔵漢大辞典』にmchog dkar の語が記載され、gzhu「弓」の意味とされている。
glu dmar「赤き龍」
l. 111。mchog garと対になる語。mda’「矢」の美称か。
nam mdzong/mtshong「胸椎」=箆の隠喩?
『蔵漢大辞典』が古語として記載するnam tshong「胸椎」に相当する語と考えうるが、箆の隠喩でもなければ、矢が射られ、獲物の胸椎が飛び出るというこの文献の描写(ll. 112-113) は奇妙である。
③峠を越え、川を渡る馬の描写
チベットの犠牲馬に対する決まり文句であるが、この説話においてはチベット側、トンバ側の双方でそれが命令法で説かれている。比較したい。チベット側では次のようになっている。
文例3(r130)
chab gang ni la ru mdzod chig yang ba ni rab du sbogs shig
御武勇 は峠におふるいになれよ。度胸 は 浅瀬に 発揮なされよ。
chab gang はchu gang「勇気」の敬語であるということで、専門家の見解は一致している。
yang ba についてR.A. スタンStein などの権威的学者はyang po「軽い」に通じる語であり、身体の身軽さを示す語と見たようだが、最近、B. ダットソンDotson の英訳を受け、今枝由郎・西田愛はそれを精神的特性を示す語と考え、yangs pa「広い」と結びつけ、「度量」と訳している。chab gang が精神性を示す語なので、彼らの見地はほぼ妥当に思える。しかし交通の難所において馬に要求する精神性なので、「視野の広さ」かと考えてみたりもしたが、「勇気」という精神性に近い「広さ」、つまり何があろうと動じない心、「度胸」と訳すのが相応しいかと今考えている。
動詞mdzod はmdzad pa「なさる」(byed pa「する」の尊敬語として今日通っている)の命令形。
対応する動詞sbogsも命令形であろうし、他の文例から未来形sbog、過去形も命令形と同じくsbogsであることも窺える。今日のチベット語辞典における動詞spog pa (『蔵漢大辞典』では現在形spog、過去形spags、未来形spag、命令形spogs)に当たりそうである。この動詞の意味についてH. イエシュケJäschke のチベット語辞典は“to remove and bring near by turns”と説明している。この文例においては、気弱さを打ち消し度胸を抱けというように使われたというところか。
ナシ族トンバ経典『馬を捧げる』資料
黒澤 直道
・焦点トピック
①希求法の応酬
文例1 野馬→馬〔第十三~十四葉〕
a. Juq nee lei shel mei, bbei'lobbeiceeqssee ddaq kuaq-mei seeq me
野馬 ~が (助) 言う (助) 人間 ~のように 悪い-(接辞) (副) (否定)
jju. Ruq yi zzei-xuq yel lei xiq me zo, cee yi xiperq yel lei
いる 夏 ~は 麦-赤い 与える (助) 養う(否定)(可能性) 秋 ~は 稲-白い 与える (助)
xiq me zo, neeq xiq bbvq gvllv, lvq bbei xiq me zo,
養う(否定)(可能性) 家畜 養う 柵 中 暖かい (助) 養う (否定) (可能性)
bbei'lobbeiceeqssee, ruq lei neeq shee zzee zo waq, qil lei neeq
人間 飢える (助) 君 肉 食べる(可能性) ~である 寒い (助) 君
ee xuq bbei sheel lei lvq bbei muq zo zeel.
皮 赤い (助) 剥ぐ (助) 暖かい(助) 着る (可能性) (引用)
(野馬が言うには、人より悪いものはない。夏には赤い麦を与えて養わず、冬には白い米を与えて養わないはずだ。家畜を養う柵の中、暖かく囲わないはずだ。人は飢えれば君の肉を食うはずだ。凍えれば君の赤い皮を剥いで暖かく着るはずだと。)〔第十三葉〕
b. Juq nee gguq juq seel zzuq lei til'to, gguq yi bbei'lobbeiceeqssee
野馬 ~が 馬 ~に 三 言葉 (助) 呪う 馬 ~は 人間
gge jji bbee ree bie hol, ggv bbee zzoq bbei hol, me shee o
~の 歩く (行く) 道 変わる (願う) 渡る (行く) 橋 ~になる (願う) (否定) 死ぬ 骨
jil hol, shee seiq muq jil hol.
背負う (願う) 死ぬ (完了) 遺体 背負う(願う)
(野馬は馬に向かって三言の呪いを唱える。馬は人の歩く道になるように。渡る橋になるように。死なずば骨を背負うように。死ねば死体を背負うように。)〔第十四葉〕
文例2 馬→野馬〔第十三~十四葉〕
gguq nee lei shel mei, mee shuaq geeq aiq bbvq, juq yi me
馬 ~が (助) 言う (助) 天 高い 星 崖 下 野馬 ~は (否定)
jil see cher hol, me luq kua ggee hol. so shuaq jjiq
背負う 背中 腐る (願う) (否定) ぶらつく 蹄 割れる (願う) 高原 高い 水
qil yi, zzeeq perq hal bbei hol, juq bvq shee bbei hol.
冷たい ~は 氷 白い 張る (助) (願う) 野馬 渇く 死ぬ (助) (願う)
aiq shuaq ssee shuq zzee mei tee me waq, ssee herq bbei nee
崖 高い 草 探す 食べる (接辞) それ(否定) ~である 草 緑 雪 ~が
siul, juq ruq shee bbei hol.
殺す 野馬 飢える 死ぬ (助) (願う)
(馬が言うには、天高い星の崖の下、野馬は荷を背負わずに背が腐るように。駆けずに蹄が割れるように。高い峰の冷たい水は、白い氷が張るように。野馬が渇いて死ぬように。高い崖の青い草を探して食むのではなく、青い草が雪に枯らされ、野馬が飢えて死ぬように。)
②弓矢の表現
a. leebv「矢筒」 (=leebiu)
lee(矢)-bv(升) 〔第十六、十七葉〕 (矢筒の表現はこれのみ)
b. lee「矢」
sso ee leesee leemei bul,(良い男が弓矢を持ち)〔第十九葉〕
男 良い 矢-(接辞) 矢-(接辞) 持つ
※-mei:大きい。矢-大きい ➡ 弓
er lee shuq lee bul,(銅と鉄の矢を持って)〔第十九葉〕
銅 矢 鉄 矢 持つ
(矢の表現はこれのみ)
③峠を越え、川を渡る馬の描写
文例 〔第二十六葉〕
bbuq shuaq lol bbee mei, la co la lol bbei lei fai,
坂 高い 越える(行く)(助) 虎 跳ぶ 虎 越える ~ように (助) (行け)
hol jjiq dderq bbee mei, shuq rher ni hua bbei lei fai.
深い 水 渡る (行く) (助) 獺 泳ぐ 魚 泳ぐ ~ように (助) (行け)
[滑]
(高い坂を越えてゆくのに、虎が跳ぶように行きなさい。深い川を渡ってゆくのに、獺と魚が泳ぐように行きなさい。)
・「高い坂(山)←虎のように」、「深い川←獺のように」 という対比。
トンバ経典・古代チベット儀礼説話の相互比較・資料 (黒澤)
1.ストーリーの骨子(共通部分)
・トンバ経典「馬を捧げる」
①馬、野馬、ヤクが生まれる(異母兄弟)
②水場の争い ヤクが馬にぶつかる(死んではいない)
③馬の敵討ち計画
④馬と野馬の分離 馬→人間、野馬→野生
⑤人間がヤクを殺す(敵討ち要素希薄、神へ捧げ物)、人間が野馬を殺す
⑥祖先に馬を捧げる
・敦煌文献「馬キャン分離」
①馬は三兄弟(イーキダンチャム、キャンルンゴクタ、ククルンキマンダル)、ヤク?
②争い ヤクが長兄イーキダンチャムを殺す
③馬の弟二人の敵討ち計画
④馬の弟二人の分離 キャンルンゴクタ→野生、ククルンキマンダル→人間
⑤人間がヤクを殺す(ククルンキマンダルの敵討ち)
2. ストーリーの比較
・敦煌文献では、馬が三兄弟、長兄が死に、二人の弟が分離。トンバ経典では、馬と野馬が分離するだけ。
・敦煌文献は、敵討ちの要素が大きい。トンバ経典は、敵討ちの要素は希薄。祖先への供物の話になっている。
・トンバ経典では、冒頭に卵生神話の追加。後半に人間と馬の葛藤の追加。
3. 文体の比較
敦煌文献:擬人化、脚色が多い。馬とヤクは、個人名で描写。文芸的傾向。
トンバ経典:脚色が少ない。個人名なし。「馬」「ヤク」「野馬」。口承的傾向。
4. トンバ経典の方が記述が多い部分〔第十七~十九葉〕
gguq jer reeq herq lvl mei tee me waq, ddv perq gaihail gguq
馬 首 蛇 緑 絡む (助) それ (否) ~である 法螺貝 白い 胸懸 馬
nieq zeel lee seiq.
~に 着ける (来る) (完了)
馬の首に蛇が絡むのでなく、白法螺貝の胸懸むながいを馬に付ける兆し。
gguq gv bbei nee diu mei tee me waq, mil ddeeq mil jil nee
馬 頭 雪 ~が 打つ (助) それ(否) ~である 女 大きい 女 小さい ~が
gguq gv me hua'lua, gguq gv maq nee ma, huaq ddeeq luallua
馬 頭 (否) 滑る 馬 頭 バター ~を 塗る 滑る 大きい (擬態語)
ggv lee seiq.
~なる (来る) (完了)
馬の頭を雪が打つのでなく、大きな女と小さな女が、馬の頭が滑らないのを、馬の頭にバターを塗り、滑々にする兆し。
gguq ku mi nee gua mei tee me waq, lamaq bbe'leeq ddeeq jil
馬 口 火 ~が 呑む (助) それ (否) ~である ラマ 読経者 大きい 小さい
nee, bberq mai so yuq dal, lei yuq gguq gge jer nieq zeel lee
~が ヤク 尾 組紐 持つ 結ぶ (助) 持つ 馬 ~の 首 ~に 着ける (来る)
seiq.
(完了)
馬の口を火が覆うのでなく、大小の僧侶と経典を読む者が、ヤクの尾の組紐を持ち、馬の首に掛ける兆し。
gguq ku shuq nee ddu mei tee me waq, shuq perq zhualshua
馬 口 鉄 ~で こじ開ける (助) それ (否) ~である 鉄 白い 轡
gguq gge ku nieq zeel lee seiq.
馬 ~の 口 ~に 着ける (来る)(完了)
馬の口を鉄でこじ開けるのでなく、白い鉄の轡くつわを馬の口に付ける兆し。
gguq hoq zal nee zal mei tee me waq, haiq sheeq jjibbv
馬 肋 刃物 ~で 穿つ (助) それ (否) ~である 金 黄色 鐙
gguq gge hoq nieq zeel lee seiq.
馬 ~の 肋 ~に 着ける(来る)(完了)
馬の肋を刃物で穿つのでなく、黄金の鐙あぶみを馬の肋に付ける兆し。
gguq ggv zzerq herq dder mei tee me waq, ser sheeq jilkuaq
馬 体 木 緑 生える (助) それ (否)~である 木材 黄色 鞍
gguq gge ggv nieq jil lee seiq.
馬 ~の 体 ~に 載せる (来る)(完了)
馬の体に青い木が生えるのでなく、黄木の鞍を馬の体に付ける兆し。
zzerqgv gel nee hal yiimu tee me waq, gel ddv sheeq herq
木-上 鷹 ~が 棲む 夢 それ (否) ~である 鷹 翼 黄色 緑
gguq gge gv nieq chul lee seiq.
馬 ~の 頭 ~に 挿す (来る)(完了)
木の上に鷹が巣食うのでなく、黄色と青の鷹の翼を馬の頭に挿す兆し。
zzerqkee la nee hal yilmu mei tee me waq, la ee la bal
木-足 虎 ~が 棲む 夢 (助) それ (否)~である 虎 皮 虎 四肢
gguq gge ggv nieq diul lee seiq.
馬 ~の 体 ~に 被せる (来る)(完了)
木の根に虎が休むのでなく、虎の皮の敷物を馬の体に被せる兆し。
yilmu ga neiq ee sei ye, yilmu gguq me kuaq.
夢 良い ~と 良い(完了) (助) 夢 馬 (否) 悪い
良い夢であるなあ。馬にとって悪い夢でない。
gguq ddee jil me ddee, jil shuq bbee ddaq zeel.
馬 得る 鞍 (否) 得る 鞍 探す 行く (助) (伝聞)
馬を得て鞍を得ず、鞍を探しに行くのだと。
go shuaq goq ggv perq, gguq nee toq me gvl,
高原 高い 高原 (所) 白い 馬 ~が 寄り掛かる (否)(可能)
高原の白い野原で、馬が寄り掛かる所がなく、
muqlo zzerq nieq toq.
躑躅 木 ~に 寄り掛かる
躑躅つつじの木に寄り掛かる。
muq ser rua jil zeil me gvl, meesseeggvlsseesso nee zeil,
躑躅 木材 馬 鞍 作る (否)(可能) 天の九兄弟-男 ~が 作る
躑躅の木で鞍を作れず、天の九兄弟が作る。
shu perq bbei nee bbei, shu perq zal nee zal,
鉄 白い 斧 ~で 作る 鉄 白い 刃物 ~で 穿ち
白い鉄の斧を使い、白い鉄の刃物で穿ち、白い鉄の鉋かんなで削る。
gaikuaq ngvq nee ssaiq, mailkuaq haiq nee ssaiq,
前-(接辞) 銀 ~で 嵌める 後-(接辞) 金 ~で 嵌める
前は銀を嵌め込み、後は金を嵌め込み、
waq herq gaihail bbei, chuq nal mailhail bbei,
トルコ石 緑 胸懸 する 宝石 黒い 鞦 する
緑のトルコ石を胸懸むながいにして、黒水晶を鞦しりがいにして、
hai sheeq jjibbv bbei, ddv perq zhualshua bbei,
金 黄 鐙 する 法螺貝 白い 轡 する
黄金の鐙を付け、白法螺貝の轡を付ける。
gguq ku shuq nee ddu, gguq ggv jil nee ddu.
馬 口 鉄 ~で 治める 馬 体 鞍 ~で 治める
馬の口は鉄で治め、馬の体は鞍で治める。
・記述が長いのは、道具の具体物の名称が多いため。文飾というものでもない。
相互コメント・質問と応答
石川より
・大まかなところでは似てはいるが、語句レベルのミクロな点ではあまり一致がない。
・女性がバターを馬に塗る描写はバラモン教の犠牲馬の扱いを想起させる。
・ナシの側では、馬肉を食料とすることをタブーとする起源がはっきり謳われている。チベット側にはないが、チベットの伝統料理にも馬料理はなく、馬の全身骨格が墳墓から発見されるなど、馬については古代においても解体して食してはいない可能性がある。
黒澤より
・チベット側の説話に見える弓の異称、チョクガルmchog gar 「白き至高」だが、チョクはナシ側では「宝石」の意味でみえる。
・石川の和訳の注釈において、古代の葬儀において死者の遺体の一部を参加者が食べていた可能性については不可思議に思える。
→石川の応答:そう考えると末弟馬のセリフの筋が通りそうだという程度の指摘である。
・トンバの側の説話は基本的に神に聞かせるものだが、チベット側の説話は誰に対して語るものなのだろうか?
→石川の応答:古代チベットの現場に赴き、観察するのは不可能であり、確証は取りえないが、このジャンルのものを今まで観てきた感触では、いかに聞き手が面白く聞いてくれるかというところに文芸的発達が見られるように思える。
→黒澤の応答:あれほど文芸的に凝った話を一般聴衆は理解できないのではないだろうか?
→石川の応答:そうかもしれない。今後も考えていきたい。